未分類

謎多き、濃姫の生涯や最後について調べてみた

濃姫、と聞くと、すぐに浮かんでくるのは、夫である織田信長ではないかと思います。

濃姫はあの信長の正室として有名ですもんね。ただ、その「最後」は、とても謎に包まれている人物でもあります。

今回はその濃姫についてどんな人物か、また生涯や最後についてお話してまいりましょう。

濃姫という人

世間一般で知られている「濃姫」という呼び方ですが、こちらは濃姫がいた頃からだいぶ後世になってつけられた名前だと言われています。

本名は「帰蝶(きちょう)」もしくは「胡蝶(こちょう)」であったとされますが、ここでは便宜上、濃姫と呼びます。

濃姫は1535年、美濃の国(現在の岐阜県南部)にて、マムシと呼ばれた斎藤道三と正室・小見の方の娘として生まれます。

斎藤道三には多くの子がいましたが、正室との間にできた唯一の女子は濃姫だけです。

また、母親である小見の方は明智家の出で、なんと将来夫となる織田信長を謀反で滅した明智光秀は濃姫の従兄弟になります。

濃姫は幼い頃に一度、政略結婚で土岐頼純に嫁ぎますが、彼がすぐに亡くなってしまい、濃姫はまた美濃に戻ってきます。

この頃は11、12歳だったと言われています。まだまだ幼いですが、これが戦国の姫としての生き方です。

そして15歳になった頃、もとより仲が悪かった織田家に嫁ぐことになりました。

なぜ仲が悪かったというと、父親である道三はもともと一介の油商人でしたが、いろいろあって出世し、最後には主君を殺して自分が美濃の国を治めるようになった、

いわゆる下克上大名でした(この話にも諸説あり、今は道三の父親との二代にわたっての下克上劇だったのではないかという説が有力になってきています)。

その際、逃げた主君筋が頼ったのが信長の父親で、ここから戦が始まり仲が悪くなったのです。

しかし、戦も長く続くとお互いに疲弊し、何か別の解決策を……ということで、年ごろだった濃姫と信長の婚姻が決まったわけです。

しかし、それまで仲違いしていた敵国に単身乗り込む勇気といったら。考えるだけで身震いしますね。

ましてや、信長は当時、「尾張のうつけ」と呼ばれていた癖のある人物。濃姫も不安だったのではないでしょうか。

尾張のうつけとの婚姻

一般的に考えると、敵国でありうつけである夫の元に嫁ぐのには、かなり怖かったと考えられます。

しかし、濃姫は違いました。彼女は個人的な見解ですが、それこそ織田信長の女性版といっても過言ではない性格をしていたのではないかと思います。

つまり、強い、のです。有名な話があります。濃姫が織田家に嫁ぐ際、父・道三は短刀を濃姫に渡します。

「織田信長という男が本当にただのうつけであれば、これで刺し殺してしまえ」

という言葉と共に。その時、濃姫はこう言ったそうです。

「この短刀で刺すのは父上かもしれませんよ」と。つまり、自分は敵国に嫁ぐ身。嫁ぐということはその家の者になるということ。

さらには、信長がうつけなどではなく頭の回る人物であるとすれば、逆に父である道三の首を狙うものになるかもしれない、と話したといいます。とても気丈な姫ですね。

こんな強く賢い女性が、信長の正室としてずっといたということは、信長がうつけなどではなかったという証拠にもなります。

その短刀を握りしめて、濃姫は尾張にやってきます。信長との仲は良かったという説がかなり多くあります。

信長には側室もそこそこいましたが、彼自身も濃姫の人物としての評価を高くみていたのか、正室である濃姫を一番にたてて行動する事が多かったのではないでしょうか。

信長は身分などほとんど関係なく、能力のある人物を高く評価しますので。様々なドラマや映画を見ても、何かあるごとに濃姫と一緒にいるシーンを見かけます。

一番多いのが、濃姫の膝枕でくつろいでいる信長でしょうか。信長にとっても濃姫は、心のよりどころというか、心強い戦友として傍にいさせたのではないかと思います。

というのも、濃姫と信長の間に子はできませんでした。

あえてできなかったのか、仕方なくできなかったのかはわかりませんが、のちに信忠が濃姫の養子となり、嫡子ということで跡取りになっています。

従兄弟・明智光秀との関係

知っている人と知らない人の割合が、半々ぐらいではないかと思うのが、この明智光秀との関係です。

従兄弟という説や、幼馴染だったという説もあります。が、母方の出が明智ですので、従兄弟説が強いかと思います。

幼い頃から顔見知りで仲も良かったそうなので、幼馴染という説も当たりではありますね。

ただ、よく映画やドラマで扱われる、濃姫と光秀がもともと恋仲だったという説はどうでしょうか。確かに、その説が本当なら、こんなにドラマティックな展開はありません。

恋仲だった幼馴染で従兄弟の光秀と引き裂かれ、濃姫は泣く泣く信長の元へ。

うつけだった信長のあまりひどさに、濃姫は光秀を織田家の家臣として呼び込み、そして信長を殺すべく本能寺の変に加担した。

そこで信長は亡くなり、二人の恋は見事に成就……確かに、とてもドラマティックです。しかし、事実はそうではないようです。

もっとも、これが事実かどうかも、本当のところはわかりませんが……。まず、三人の年齢差について考えてみると、だんとつで光秀が年上です。濃姫とは七つ離れています。

戦国の頃ですから、七つぐらい離れていても結婚するところはします。しかし、濃姫が最初の結婚をした11、12の頃には、もう光秀は結婚していた事になります。

光秀がとても愛妻家だったという話は有名で、嫁いでくるはずだった妻が直前に疱瘡を患い顔に痕が残った時も、身代わりとして差し出された妹を失礼のないように送り返し、妻を娶ったと聞きます。

それから光秀は側室を作らず妻のみを大切にしてきたという話もあるほどですから、濃姫と恋仲だったという話はかなり薄くなりますね。

そもそも戦国の世ですから、従兄弟とはいえなかなか顔を合わせる事がなかった、という話はよく聞きます。

濃姫と光秀が顔見知りですらなかったという事もあったかもしれませんね。

濃姫の謎につつまれた生涯

歴史的にも、どうやら濃姫に関しての資料はかなり薄いようで、その多くが謎に包まれたままのようです。

ですから、人々はそれぞれの憶測で「濃姫」という人物を作り出し、こうであったかもしれない、こうであってほしいと描いていくのでしょう。かくいう私もその一人かもしません。

初めて「濃姫」を知った時、私の中では織田信長という人物がかなり変人でしたから、その変人を旦那にするなんて、なんて「おかしな姫」だと思ったものです。

その頃は、戦国の世の習い、政略結婚という言葉を知らなかったものですから、濃姫が信長を選んだと思っていたんですね。

それから様々な本を読み、ドラマを見たりする中で、その存在感というものが、後に天下を治める豊臣秀吉の正室、寧々とよく似ているな、と感じました。

寧々にも子がいませんでしたが、最後まで秀吉は寧々をたてていました。淀殿という愛してやまない側室がいてもです。それぐらい大きな存在だったわけです。

濃姫もまた、信長にとってはそんな存在だったのではないでしょうか。

敵国の娘ではありました。いつ寝首をかかれるかわかったもんじゃなかったのでしょうが、信長は濃姫を信頼し傍において、事あるごとに同じ時間を過ごしたのでしょう。

そんな信長ですから、濃姫もついていったのではないかと思います。そこには二人にしかわからない絆のようなものがあったのでしょう。

よく、アニメやゲームなどで、濃姫はとても妖艶な女性として描かれています。

それも確かにあると思いますが、個人的には凛とした花のように、立ち姿はスッとしていて、利発で美しい人ではなかったかと想像します。

今でいう、「できる女性」の代表のような、そんなイメージです。

濃姫の最後

その生涯も謎に包まれている部分が多い濃姫は、その最後もとても謎に包まれています。濃姫には早世説と、長生説があります。

ほかにも、離縁説やらなにやら。本当に資料が乏しいので、どれが正しいのかみんなわからないのです。その中で、今は長生説が有力ではないかと言われているそうです。

他の説はいろいろと歴史的な辻褄が合わないようで、立証されにくいのですが、長生説を見ると、本当にそれが濃姫なのかはわかりませんが、濃姫かもしれないというものがたくさん出てきているからです。

例えば、信長の次男・信雄がまとめた「織田信雄分限帳」。こちらは信雄が織田家の親族や家臣などをまとめた本になります。

ここに「安土殿」という女性が出てきます。近年ではこれが濃姫の事ではないかと言われているようです。

そもそも安土とは、信長の居城、安土城の「安土」を指すのではないかという事。それならば、安土城……信長に一番近い女性ではないかということ。

また、600貫の知行を与えられている女性でもあります。女性でこれだけもらえているのは、信雄の正室やら妹の他にいません。

それぐらい、織田家では地位が高い人を指します。信雄にとって濃姫は義理の姉。それぐらいの知行があってもおかしくはありません。

ちなみに、安土殿の下は信長の生母、そして信長の妹と並びます。こう考えても、安土殿が信長の正室であったという説はぬぐえません。

もし、この説が本当なら、その後の様々な調査で濃姫の墓所が織田家の菩提寺である大徳寺総見院にあるのではないかと言われています。

強くて凛とした女性像

ドラマや映画などではよく、本能寺の変で信長と共に長刀をふるって戦い殉死した様が描かれていますが、それはあくまでドラマティックな演出にすぎません。

明智光秀の時といい、濃姫は本当に資料が少ないが故に、こういう夢のある様々な逸話が生まれてくるのでしょうね。

それほど、濃姫という女性は、戦国の世において、魅力的だった女性なのではないでしょうか。